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住職のブログ

『無縁社会』×仏教『無』

  • 主観的仏教度:★☆☆☆☆(星1つ)

    2015.01.24

    未分類

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    孤立した人が亡くなり誰にも発見されなかったり、悩みがあっても相談する人が周りにいないなど、親、友人、地域住民との縁が薄くなっている社会のことを、無縁社会といいます。数年前、NHKで特集されていました。
    国は無縁社会への対策として、縁のある地域づくりを目指しているようです。

    この「無」という言葉は一般的に「有る(ある)」と対比して「○○がない」「○○しない」という否定形で使われています。以前はあったものが失われた時に使われる言葉です。しかし、仏教の「無」のとらえかたは前向きです。

    無心(むしん)とは、否定形で読むと心が無いとなります。心が無いのは悲しいことですが、仏教的にはこれを、無の心(むのこころ)と読みます。
    無(む)の心とは、とらわれない心ということです。目の前の現象にとらわれず、自由でおおらかな心のあり様のことです。

    また、お経は有縁無縁(うえんむえん)の命のためにお唱えします。
    有縁とは今生きている命に直接関係のある人や生き物の命、つまり家族、親戚、友人、仕事の仲間などの関係や、お米を食べればお米の命、野菜を食べれば野菜の命、お肉を食べれば動物の命のことです。

    無縁は、自分の命と間接的な関係のことです。家族の友人や、友人の友人、仕事の取引先の取引先、お米や野菜でいうと、それをつくっている農家の人、お米や野菜が育つための太陽、水、土など、自然現象のあらゆるもののことです。
    仏教では、目の前の有縁ばかりにとらわれず、無縁をも大切にしていくことで、命は無数の縁に支えられている奇跡的でかけがえのない存在だと考えます。

    縁のない社会で生活するのは寂しいことです。また、昔あった縁を取り戻すのも大変なことです。
    今日この瞬間から無縁を大切にすることを、有縁無縁社会への第一歩としたいです。

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