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仏教的Blog

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『はだかの王様』×仏教『天上天下唯我独尊』

  • 主観的仏教度:★★★☆☆(星3つ)

    2015.02.02

    未分類

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    童話「はだかの王様」を久しぶりに読みました。

    ある国の王様が商人から、馬鹿者には見えないという服を買いました。王様は馬鹿だと思われたくないので、さも見えるふりをし、その服を着て町中を裸でねり歩きます。
    家来や町の人は、王様がはだかで歩いているのを知っていましたが、王様に逆らうとこわいので、何も言えません。そこに純粋な子どもがやってきて「王様はなにも着ていないじゃないか」と正直に言ってしまい、気まずい空気になるという、人間社会の権力関係に一石を投じる内容かと思っていました。
    会社の社長など、ある程度の社会的地位のある人の周りにイエスマンしかいないことを風刺して、「あの人ははだかの王様だ」と批判する場面もあると思います。

    しかし、改めて読んでみるとそのようなストーリーではありませんでした。

    実際には、王様を含め、家来も町の人も全員が、周りから自分を馬鹿だと思われたくないので、服が見えるふりをしていたようです。最後にこどもが何も着ていないと正直に言ったことをきっかけに、王様以外の全員がいっせいに「王様は裸だ」と笑いあったという落ちです。
    あるがままの自分よりも高くひとに評価してもらいたいという心の動き、つまり、虚栄心を風刺した物語であるとのことです。

    仏教を理解するには馬鹿になることが大切だと思います。馬鹿とは、頭で何も考えず、動物のように本能で生きるという意味ではなく、はだかの王様にでてくる子どものような、人に高く評価されたい、自分をよく見せたいといった見栄やプライドがないということだと思います。
    見栄やプライドを捨てることで初めて、そのもののあるがままの姿が見えるのだと思います。

    天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)とは、この世の中でこの命ほど尊いものがあるだろうかというお釈迦さまの言葉です。見栄やプライドなどの余計なものを捨て去り、あとに残るのは、いのちへの感謝と尊い命を授かったという真のプライドでしょうか。

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