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住職のブログ

『磁石』×仏教『永遠』

  • 主観的仏教度:★☆☆☆☆(星1つ)

    2015.10.22

    未分類

    磁石

    磁石にはN極とS極がありますが、N極だけの磁石、S極だけの磁石というのは存在しないらしいです。そして驚いたのは、磁石のN極部分を半分に切ったら、片方には、S極が生まれてくるらしいです。初耳でした。

    どうやら、N極とS極は対極な関係にありながら、切っても切り離せない関係といえそうです。

    この関係は、般若心経に登場する、綺麗も汚いも無い、増えるも減るも無い、対極にある考え方にとらわれないという「空」の思想に似ていると思います。

    「空」は、絶対的に「高い」ものは無く、また、絶対的に「綺麗」というものは無いと考えています。これは、「綺麗」の中には「汚い」があり、「増える」ことの中には「減る」があるということです。

    自分よりも劣っているであろう人を見ては優越感を覚えて安心し、自分よりも恵まれているであろう人を見ては羨ましいと思い不安になるという心の働きは、まさに対極的で相対的なものの考え方からくるのだと思います。

    そのような対極的、相対的な考え方にこだわって、とらわれていると、心に迷いの種が次々と生まれてきます。

    ところで、対極的で相対的な基準の究極形は何かと思い、考えてみたところ「永遠」がそれにあたるのではないかと思いました。辞書で「永遠」の対義語を調べたところ「瞬間、一瞬」とありました。本当にそうでしょうか。

    永遠は、「過去、現在、未来という時間を通じてみえてきた普遍的なもの」と解釈しています。瞬間や一瞬ということの積み重ねが過去、現在、未来になっていくわけですから、瞬間や一瞬というのは、永遠の一部分といえると思います。この点は、作家の中島らもさんが小説の一節で同じようなことを書いていました。一部分のものは、すでにそのものと一体ですから、「永遠」の対義語について、辞書の情報をベースに検討するのは中断しました。

    寺の庭掃除をしながら検討してみたところ、永遠の対義語は「 無(ない)」ではないかと思いました。

    永遠という概念は、時間軸を前提にしていますから、「無(ない)」には、もともと時間という概念すら無いから、その対極にあるものではないかと思います。

    しかし、「永遠」は、時間にすら縛られない普遍的な真理のことですから、時間という概念からはすでに離れています。その点では、「無(ない)」と共通しているし、もはや「永遠」と「無い」とは同じもののようにも感じました。

    対極にありながら、切っても切り離せない関係のものは、もはや一体ということでしょうか。どこか「ロマンティック」だなと感じたところで、今回の検討をおえることにしました。

    検討をおえてまず思ったのは、このようなことを辞書を調べたり、時間をさいて考えることは、とても無駄な時間だということです(笑)それは、「永遠」にしろ、「無い」にしろ、いま現在の時間を、自分がどう使うかが大切だからです。

    仏教を体得する、つまり、こころの安心を得るために、難しい言葉の勉強、分厚い本の読破、特別な学習等は必要なく、今この瞬間を一生懸命に生き切ることが一番の近道だといわれるのは、まさにこのことでしょうか。

     

     

    とりあえず、目の前に溜まっている仕事を片付けます。この仕事が永遠に終わらないなんてことはないんだから。

     

    追伸:「無い」の対極にあるのは「有る」ですから、「有る」=「永遠」??とはならなさそうです。賢こな人がみえましたら上手く処理ください(笑)この内容では、主観的仏教度1ですね(笑)。

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