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住職のブログ

『春の庭』×仏教『空白の時間』

  • 主観的仏教度:★★★★★(星5つ)

    2016.04.02

    未分類

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    西住院で生まれて、西住院で育ち、いまもかわらず西住院に住んでいます。今年で33回目の春到来です。上の写真はアセビという花で、下の写真はボケや菜の花をいけてみました。まだまだ名前を知らない植物がたくさん芽をだしてきそうです。植物図鑑片手に庭を散策しています。

    最近、いままで気づかなかった植物をたくさん発見するようになりました。見慣れた景色も視点をかえて見直すと、新たな発見があるものです。

    お経をよむことも発見の一つです。お経をよむことについて考えてみると、一つには先祖の供養のため。二つには自分のこころを知るためだと思うようになりました。

    いま正に生きているこの命の源は、父母であり祖父母であり曾祖父母であり数えだせばきりがありません。いのちの源である先祖が彼の岸で安らかであることを祈るということ。この祈りが先祖供養になるのだと思います。形や作法は違えど、世界中に祈りがあり、お葬式をし、お墓をつくる習慣があるのも先祖への祈りの気持ちからなのでしょう。

    そして、祈りは、先祖から脈々と続いてきた自らの命への感謝に繋がります。

    しかし、時に、これが素直にいきません。「感謝しなさい」と言われて感謝する難しさです。感謝、感動、歓喜は内から込み上げてくるものだと思います。込み上げようと思っても込み上がりにくいですね。思うようにはいかない心の動きを知ることも、自分を知る一つの手掛かりになると思います。

     

    「どうも最近素直になれない。無理しているなぁ。」と感じているかたへ。日々の日課に、空白の時間をもってはいかがでしょうか。仕事でも家庭でも趣味の時間でもない空白の時間です。

    空をただ静かに眺めてみる。風を静かに感じてみる。

    見慣れた景色にも新たな発見があるかもしれません。

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