先日、京都旅行から無事に帰ってきて「家が落ち着くなぁ」とホッと一息。観光地も楽しいが、自分の住んでいる一宮の良いところを再発見した。
仏教を学ぶことは、自分探しの旅ともいえます。仏教にこんな言葉があります。仏道をならうは、自己を習うことなり。自分探しの旅に行って気づくのは、自分の命と心のありのままの姿です。旅に行って何か新しいものを得るのではなく、今すでに持っている大事なものに気付いていくことが肝心です。
さて、今年も施餓鬼の季節がやってきます。施餓鬼は大事な先祖供養の法要です。ご先祖様が彼の岸で穏やかに過ごされていることを、一生懸命にお参りしましょう。私たちは、毎日を忙しく過ごし、自分中心に物事を考えています。お参りする時には、そのような「自我」から離れてご先祖様のために手を合わせましょう。ご先祖様から脈々と受け継いできた命の奇跡と、自分の命が無事であることへの喜びと感謝。そんな気づきがあれば、施餓鬼に参加した大きな所得と言えそうです。
施餓鬼はご先祖様の供養とともに、自分の命とこころが無事であることへの喜びと感謝のセレモニーでもあります。