”暗いと不平を言うよりも、自ら進んであかりを灯しましょう”はマザーテレサの愛した言葉です。お釈迦様の言葉にも”自灯明、法灯明”とあります。言葉の示すところは同じです。
世の中が不景気になり、世界情勢も不安定になると、わたしたちの心すら曇りがかってくるような気がします。心が曇ると、余裕がなくなり、神経過敏になりがちです。なかなか努力の成果がでないことも、世の中や周りの人のせいにしてしまいがちで、モチベーションを保つのは大変です。
そんな時、マザーテレサの顔が浮かびます。”暗い暗いと不平を言うよりも、自ら進んであかりを灯しましょう!”
お釈迦様の自灯明とは、”自らのこころに灯りをともして、周りのひとのこころも照らしていきましょう!”ということです。法灯明とは、”こころのモチベーションを保つために、良い教え、正しい教えをこころの支えにしていきましょう!”ということだと思います。
マザーテレサとお釈迦様とは、生きた時代も違えば、国も違います。それでも2人に共通するところがあるのは、自分や家族の幸せだけでなく、他の人の幸せも真剣に願っていたからだと思います。
自分と家族の幸せを犠牲にして、周りの人を幸せにしていてはいけませんし、
周りの人を犠牲にして、自分と家族の幸せだけを手に入れてもいけない。
一見、無理難題でジレンマを抱えそうな問いですが、ある考え方を自分のなかにもっていれば、そんなに難しく考えることでもないように感じます。
自分の中にもっておきたい考え方は、”知足(ちそく)”、足るを知るというです。
今、日本は成熟した社会だといえるでしょうか。わたしは成熟過程だと思います。それは、お金や物を必死に手に入れて手放そうとはしないからです。まだまだ足りていないのだと思います。しかし、知足のこころを持たずに、お金や物と真剣に向き合うと、手に入れても手に入れても、また次に必要なものがでてきて、行き着く先のゴールはありません。
どこかで、これで十分、十二分と思って行くポイントがないと、いつまで経ってもきりがありません。
物は日々劣化しいつかは壊れ、お金の価値も日々変わります。そのような正体不明のところを追い続けるのは心が疲れます。こころが欲しているのは”これで十分足りている”という充実感、満足感です。
知足の心がけは、少しの量で満足感を得られる寛容なこころを育みます。こころの寛容さが、周りを照らす灯りの燃料となります。
こころの燃料不足を感じている人は、今日1日の目標 ”知足” これで決まり。